自分史

2009年4月27日 (月)

米村 孝郎 ~ 小学校編3

私の人格に多大な影響を与えてくれた恩師。

小学校に入学して最初の担任、本間先生。本間先生からは「人とお話しするときはその人の目を見てお話ししなさい。」と教わった。ずっと守ってます…本間先生。

小学校中学年の担任は越後先生。家が近所でまるで父親のように接してくれた。スキー教室のときにイチゴやメロンのシロップを買ってきてくれて雪のうえにばらまき、カキ氷だと言ってみんなを喜ばせてくれた。創造する事の楽しさを学びました…越後先生。

小学校高学年の担任、為広先生。正義感の強い先生。弱い者いじめが大嫌いだった。いじめに対しては色白な先生が顔を真っ赤にして怒っていた。時々泣き出すこともあった。優しい先生。あなたのように弱きを助ける存在になるように努めています…為広先生。

6年間の小学校生活で、いまでも大事にしていることはほとんど教わった。生きていく上で大事なことを教えてくれた恩師に出会えたことになにより感謝している。

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2009年2月17日 (火)

米村 孝郎 ~ 小学校編2

小学校に入って、仲良く遊んだ友人の佐藤君。

佐藤君のお父さんは、網走に3つしかない劇場(映画館)のオーナーだった。

佐藤君のおかげで、小学校入学して間もない僕が親の同伴なしに映画館で映画を自由に見ることが出来た。僕は熱狂的なブルース・リーファンだった。公開された映画はほとんど全て佐藤君のおかげで見ることが出来た。

映写室にもよく連れて行ってくれた。映写室の小窓から大人向けの映画を背伸びしながら二人でのぞいた記憶がある。妙に楽しかった。意味無くふたりでゲラゲラ笑いあってた。

大人になって「ニューシネマ・パラダイス」という映画を見たとき鮮やかにこの時の記憶が蘇った。映画好きの方ならノスタルジックなこの作品を是非一度みてもらいたい。

佐藤君の家の土間には過去に上映された映画のポスターや看板が所狭しと置かれていた。僕はそれを見ているだけでいつもドキドキしていた。

佐藤君が凄いのはそれだけではない。その当時、僕は「電話機」は大人が使うものと決め付けており、その神聖な黒い塊を気安く子供が触ってはいけないと信じ込んでいた。ある日、佐藤君はおもむろに神聖な黒い塊に手を伸ばすと「これ、知ってる?」と117をダイヤルし時報を聞かせてくれた。原始人が文明に触れたときの感動とはこんなものなのだろうか?僕の興奮は頂点を極めた。

僕の中で、佐藤君は神だった…

大人びていた佐藤君にはこの他にもいろいろなことを教えてもらっていたが、小学2年の学年末を待たずに僕は転校しなければならなくなってしまった。

小さな同じ町での転校なので、今生の別れではないのに悲しくて号泣した。

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2009年1月22日 (木)

米村 孝郎 ~ 小学校編1

繁華街育ちの僕が入学した小学校は網走中央小学校。

名前は中央だが、繁華街から10キロぐらい離れた山の上の小学校だった。

通学にはバスを使った。朝は通勤の為、大人がたくさん乗り込みもみくちゃにされて大変だった記憶がある。乗車の時にバス券を取らないと運転手さんにこっぴどく叱られる。怒られた腹いせにたくさんバス券を取ってやるとミラーで確認され降りるときにやっぱり、こっぴどく叱られた。この運転手さんとの戦いはこの後、2年間続く…

小学校入学そうそう、僕は事件を起こしてしまった。

班毎に持ち回りでお掃除の当番をするのだが1人だけ真面目にやらない男の子がいた。ずっと我慢していたが、その子は真面目に拭き掃除をしている子にほうきでいたずらをはじめた。僕のなかの仮面ライダーが目を覚ましてしまった…

僕は彼のほうに黙って歩み寄り、正面に立っていきなり手で突き飛ばした。彼は尻餅をついたがすぐに立ち上がってすごい勢いで襲ってきた。反射的に身をかわし、次の瞬間、反射的に背中を押してしまった…彼は勢い良く積み上げた机の中につっこみ、ひどい音をたてて机が飛び散った。

振り返った彼の鼻から血が流れていた。彼はそれに気が付くとおお泣きしてどこかへ消えてしまった。

正義の為には仕方ない…勝手な解釈をして掃除を続けた。

学校の帰り道は急な山の斜面に板を打ち込んでつくった階段でその脇に工事用のロープが手すりのようについてる道をみんなつかっていた。そのうねった道を山側から見ると人がいっぱい繋がってまるで毎日が初詣みたいだといつも思っていた。

その日は何故かいつもより大渋滞でなかなか前に進まない。先の方に進んでそのわけがわかった。

6年生と思われる3人組が通る子一人ひとりに”おまえ、米村か?”と検問を行っていたのだ。その時は、意味がわからず同じように自分にも聞かれたが”違います”ときっぱり言ってその場をやり過ごした。

翌朝、その検問は僕の教室の入り口で行われていた。 ”まずい…”家に帰ってしまおうか悩んだが、帰ればこの事態より怖い母につめられる。

僕は意を決して検問を受けている子の脇をこっそりすり抜けた。

”あいつだよ!”その声は昨日鼻血を出してた男の子のものだった。どうやら6年生の正体はその子のお兄ちゃんだったらしい。

”昨日の仕返しか、もうだめだ…”僕も鼻血をだす覚悟を決めた。

その子のお兄ちゃんは鬼のような形相で僕に近寄り事の顛末を尋ねた。

僕は正直に昨日のいきさつを話したが、話が全て終わる前にお兄ちゃんがいきなり拳を高くした。

僕は首をすくめて目をつぶったが、衝撃がやってこない…その拳の振り下ろされた先は弟の頭だった。目をつぶったときかすかに鈍い音が聞こえた。

それからお兄ちゃんは僕の方を振り返り頭をなでてくれた。あっけにとられてポカンとしていたら”こいつがまた怠けたらどついてやってくれ。”それだけ言って、教室を出て行った。

お兄ちゃんの後姿はまさに仮面ライダーそのものだった。

お兄ちゃんの差し金なのか、弟もその日から嘘のように僕に気を使うようになり一緒に良く遊んだ。昨日の敵は今日の友ってやつである。

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2008年12月16日 (火)

米村 孝郎 ~ 幼稚園編

家の前にある木の塀をよじ登り、家と家の隙間の細い道を通って幼稚園にかよっていた。

小銭を持たされ途中の商店でメロンパンか渦巻きパンとコーヒー牛乳をお昼の弁当代わりに買っていくのが日課だった。

僕がかよっていたのは、あいか幼稚園。キリスト教の教会とつながった作りの幼稚園だ。(今は、無くなって駐車場になっているのがさみしい…)

幼稚園に行くとまず、みんなで教会へ行って立ち膝でお祈りをする。

教会にはキリスト様の像とその脇の高い所にろうそくがあって、園児が順番に長い棒のようなもので火をつけ、お祈りが終わると火を消した。

一度やってみたくて、ドキドキしていたが最初の順番がまわってきた時、僕はずる休みをしてしまい係りを体験できなかった。

学校の順番というのは、名前のあいうえお順に決まることが多くこの後も五十音の最後の方の自分の名前を何度か恨む事になる。

僕はすでにこの頃から人見知りで内気で妄想がちな(自分をあしたのジョーの主人公だと信じきっていた。)変わった子だった。

当然、集団行動は大嫌い。みんなが右に行くと左に行きたくなるし、仲良く大勢で遊んでいる場所に自ら加わることができずにいつも孤独な空間を作っていた。

参観日に母が来て、みんなでお絵かきをしたことがあったが時間内に僕は絵を完成することができなかった。白い画用紙に白で太陽を塗り続けていたためだ。

当然、先生にも何をやっているのか問いただされる。太陽は赤でしょ。

僕にはお日様が赤く見えなかった。太陽を見るとまぶしくて白い閃光でできていると頑固に思い込み最後まで赤いクレヨンに触れなかった。

母がどんな顔をしていたのか?記憶に無い…

また、別の参観日。父兄たちの前に園児が一列に並びお父さんの職業を発表するという意味不明な企画があった。正直このとき父の仕事をあまり理解しておらず、他の園児の真似をして発表するつもりだった。

ぼくのお父さんは、学校の先生です。

ぼくのお父さんは、役所に勤めています。

順番がドンドン迫ってくる…

うまく真似のできる園児がいないまま僕の順番になった。

えっと、僕のお父さんはきゃばれーの社長です。

ふう~っ、上手に言えた…

すると何やら園児父兄ともども、ざわめきが…

きゃばれーという言葉がいけなかったらしい。どのように言ったか記憶にないが先生が慌ててフォローしてくれた。

繁華街育ちのワル者がこの時デビューしたのであった。

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2008年11月17日 (月)

米村 孝郎 ~ 繁華街編

新しく引っ越してきた場所は、網走の盛り場の中心部。父親がスナックを経営していたので当然、通勤に便利な場所にしたのだと思われる。

家の前のせまい路地を出ると居酒屋、クラブ、スナックとたくさんの飲食店があり、夜になると酔っ払いのおじさんがふらふらその辺をうろつきまわる賑やかな場所だった。4歳になる頃にはこのおじさんたちに愛嬌を振りまき、おこづかいを手に入れる手法を密かに身につけていた。

いただいたおこづかいは、もれなく近所にあった駄菓子屋(通称おみやげやさん)で使い切っていた。まるでギャンブルに狂ったおじさんのように…(このときの経験からこの後、自分は勝負事に向いてないと思い込みパチンコも競馬もギャンブルらしきものには今日まで一切興味をもたずにすんだ…)

ギヤンブル狂いの4歳児はあろうことか、母親がこつこつ貯めていた小銭の入ったのり箱(プラスチックでなかの見えるやつ)の中からも小銭をくすめて、はずれの駄菓子に変えていった。当然ばれていたに違いないが、母に叱られた記憶がない。

ある朝、いつものようにくすねた小銭を手に握り締め家の前の路地を抜けようとするとそこに近所の悪ガキ達がたむろしていた。一瞬ひるんで立ち止まるが気づかれないようにそーっと通り過ぎようとするとリーダー格の奴に呼び止められ、どこに行くのか尋ねられた。恐怖で声が出ない…すると別の奴らが僕の両腕を両端からつかんだ。こいつ何か持ってる。握り締めた指を一本ずつこじあけられ手のひらから、小銭が地面に転げ落ちた…僕はなぜかこの時の映像が鮮明に記憶に残っている。小銭を盗んだ悪い奴なのに、大事な母親の小銭を見ず知らずの奴に取られたことが悔しくてならなかった。天網恢恢祖にして漏らさず。この言葉を最初に聞いたとき、思い出したのもこのシーンだ。

大勢に襲われた恐怖と奪い取られた小銭の悔しさで涙が止まらなかった。

復讐という感情が芽生えたのはこの時だったのだろうか…いつか、奴らに目にもの喰らわせてやると心に決めた。

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2008年10月22日 (水)

米村 孝郎 ~ 兄弟誕生編

ウルトラマンや仮面ライダーが登場したヒーロー全盛の時代、僕も夢中になってヒーロー達に憧れていた。

ヒーロー物のTVが終わると、隣の家に連れて行けとハルばぁちゃんによくせがんでいたらしい。

僕の家のTVが終わると隣で次回の番組を放映しているものと勝手に思い込んでいたようだ…

3歳にしてわがままの頂点を極めた僕は、自分の思い通りにならないと決まって誰も踏み入ることのできない妄想の世界に浸っていた。

その頃の僕のヒーローはタイガーマスクとあしたのジョー、

当然Tシャツやズック(靴)はプリント入りだ。どちらのヒーローも親がなくいつも孤独で弱い者達の味方だ。恵まれた環境で育った僕の妄想の世界とは”孤独な人間”でいることだった。

自分はなみだ橋の下で生まれ、親はなく、ちびっ子ハウスで育ったのだ。

実際の環境とあまりにかけ離れた設定ゆえ、相当の無理があったがそこは持ち前の頑固さで目の前にあるものを全て否定し、妄想の世界を守り続けた。

そんなある日、慣れ親しんだお家を引っ越すことになった。感傷など何もない、はじめての経験だったから…

引越しの為におじさん達がたくさん来て、大きなトラックに荷物を積んでるところを見てなぜか興奮していた…きっと、邪魔をたくさんしたに違いない。

荷物を積み込んだトラックに家族とは別に同乗した。

家のまえで大好きなハルばぁちゃんが手を振っていた。

んっ!ばぁちゃんが何か、抱きかかえている…!!

いいしれぬジェラシー…

それが次男の孝介をはじめて認識した日であった。

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2007年9月20日 (木)

米村孝郎~誕生編

1966年の冬、北海道網走市で生まれた。父は飲食業の経営者で、10人兄弟の7番目であったが祖母(ハルばあちゃん)もいっしょに暮らしていた。母は父より7歳上の姉さん女房、気が強く、しつけも厳しく僕が何か悪さをしようとするといつも「ぶつよ!(打つよ)」と母の口から音が出る1秒前に僕の頭に母の手が炸裂していた。

不思議なことだがヨチヨチ歩きの2歳位の記憶が鮮明にある。住んでいた居間、出窓のある寝室、家の前の公園、その隣のスーパー、角の家には馬小屋がついており(山の中に住んでいたわけではない)近所には、昭和特有の青鼻小僧がたくさん住んでいた。

その当時は家が裕福だったらしく…僕は足で”きこきこ漕ぐ”自動車を3台家の外で持ち、家のなかでは電動カー(足でボタンを踏むと動くやつ)で移動していた。けっこう本気な子供用ドラムセットやギターもあり、近所の子供たちから羨望のまなざしを受けていた。

家の斜め前にあるスーパーからはお菓子を持ってき放題、当然いつも僕をマークしているレジのおばちゃんが堂々とお菓子の山を抱えて出て行こうとする僕を呼びとめレジを打っては閉店まぎわ母のところにレシートを持ってゆき清算するというシステムになっていた。(いつもレジのおばちゃんに恐縮している母の姿が忘れられない…)

僕は当時、いっさいお菓子を口にしない子だった。お菓子は近所の青鼻小僧、青鼻娘にすべてくれてやった。しかし、ただばら撒くのではない…2歳の僕が、気に入ってるヤツだけに渡すのだ。みんな僕に気に入られたいがためにご機嫌をとってくれた。

2歳の僕が気にいっている上位2名には3台ある”きこきこ車”のうち2台をそれぞれ貸してやった。毎日”お菓子”と”きこきこ車”の激しい争奪戦が繰り広げられた。

既にこのとき僕の中の悪魔は完全に目覚めていた。近所をうろつくボサボサ白髪頭で長い白髪  ひげのじいさんを最も恐れていた…いつも僕めがけて寄ってくる!多少ボケていたのか言葉もきちと話さない、”うーうー”とうめきながら寄ってくるのだ。

当然、青鼻小僧娘軍団(7~8名のメンバーだと思う)は白髪じいさんから僕を守る。時には石を投げたり、砂をかけたり、体当たりして抱きつき僕が逃げる隙をつくってくれる。”きこきこ車”を放置したまま僕は一目散に家に逃げ帰るのだった。

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